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マユとマリの撮影は、5月28日に決まった。
この日は、中間テストの採点のための「テスト休み」だったため、学校を休まずに、かつ平日の撮影が可能、という矛盾した条件を克服できる数少ない日であった。
その連絡が純子から入ったとき、マユもマリも複雑な気持ちだった。
鳥取での撮影後、見せてもらった自分たちの写真は、信じられないほどに美しく、綺麗で、そして可愛らしかった。純子の写真家としての技量にただただ驚嘆 した。それ以来、純子の写真を信頼する気持ちに変わりはなかった。むしろ、前回の撮影よりも、もっと前向きな気持ちで「ヌード」というものを考えられるよ うになっていた。連絡があった時も、ちょうど次回の撮影を心待ちにしていたところだった。
しかし、一方で、マユもマリも「あの時の私と今の私は違うのでは?」という不安を抱えていた。
特に気にしていたのはマユだった。この半年で、体重が明らかに増えた。運動不足になったとか、食事の量が増えたとかではなく、今までと全く変わらない生活リズムの中で、しかし体重は増えてしまっていた。
2人とも下の毛こそまだ生えてきてはいなかったものの、マリは昨年の8月、マユは年明けすぐに、それぞれ初潮を迎え、確実に「大人の女」に近づいてい た。そのことから来る精神的な不安定さが、撮影に対し期待する一方で不安を抱くことになった原因なのかも知れない。
そんな思いを抱えながら、その日まであと1月に迫ったある日。
朝、いつものように、階下から母親の呼ぶ声が聞こえてきた。
「あぁあ、もう朝か・・・。まだ眠いよぉ」
そう言って目をこすりながら、ネグリジェ姿のマユはベッドから立つと、ふらふらした足取りで1階の洗面所に向かおうとした。しかし、2、3歩歩き出したところで、目の前の景色がいつもと微妙に異なっている気がしてきた。
「あれぇ・・・。マリちゃんの布団がこんなところに落ちてるなんて・・・。おかしいなぁ、いつもきっちりベッドの上に揃えてあるのに・・・」
マユの足元には、部屋の左側のマリのベッドにあるべき掛け布団が、無造作に転がっていたのだ。
マリは、いつも母が声をかけるより早く起き、マユが洗面所にたどり着く頃にはもう、朝食のトーストを食べ始めているぐらい早起きだった。もっとも「マリ は早起き」と思っているのはマユだけで、実際はマユが起きた時点で「ワンポイント英会話」が「ハヴァナイスデー!」という陽気な声とともに終わろうとして いるのだから、単にマユが朝寝坊なだけ、というほうが正しいはずなのだが・・・。
マリは既に起きているはずだったから、いつもなら自分のベッドはしっかり直してあるはず。それなのに、なぜマリの布団がこんなところに転がっているのか、マユの寝起きの頭には全く理解できなかった。
「・・・マユ・・・ちゃん・・・助けて・・・」
その時、マユは予想もしていない声を聞いた。
驚いて声のする方を見ると、廊下の手前、ドア近くの床の上に、体を丸め、時折足をバタバタと動かしている、マユとお揃いのネグリジェを着た、一人の少女の姿が見えた。
「マリちゃん?」
マリの顔を見るなり、マユはそう叫びながらマリの脇に駆け寄った。マリは、眉間にしわを寄せ、歯を食いしばり、脂汗を流していた。その様子から、明らかにマリの体調に異変があることが分かった。
「お母さん!大変!マリちゃんが・・・」

 その日、マユは初めて、たったひとりで中学校へ向かった・・・。


3.涙のキッス



マリは「急性虫垂炎」つまり「盲腸」だった。
救急車で運ばれた病院で、着いてすぐに手術が始まり、無事に成功した。
学校から帰ったマユは、母から病名と手術のことを聞かされ、言いようのないショックを受けた。母によれば、どうやらマリは、お腹の痛みをしばらく我慢し ていたらしく、もう少し処置が遅ければ、腹膜炎を併発して、最悪の場合命が危なかっただろう、と医者が言っていた、ということだった。
「マリちゃん、我慢しすぎだよ・・・。いやだよ、マリちゃんが元気じゃなきゃ、私、何にもできないよ・・・」
その夜、ひとりぼっちの部屋は、いつもより数倍広く、そして静かだった。
「さびしいよ。マリちゃんにいて欲しいよ・・・」
そんな思いで、毎晩泣きながら眠りについていたマユだったから、1週間後にマリが退院してくると、玄関で思い切り抱きついた。
「おかえり!マリちゃん!」
その目には、大粒の涙が浮かんでいた。
「いやだ、マユちゃん、大げさよ。ただの『盲腸』じゃない」
マリは、そう言って微笑んだ。それでも、マユは泣き続けた。
マリにとって、マユの反応は予想以上のものであったが、自分を心から心配してくれていることは嬉しかった。マリにしても、病室で、マユと離れて寝た1週 間は、とても心細いものだったのだから、今、こうして抱きついてきているマユの、その温もりを感じられることが幸せだった。
ただ、マリは、ある後ろめたさを胸に秘めていた。
「ねぇ、マユちゃん、ちょっと話があるの」
意を決して、マリはマユに話しかけた。マユは、涙でくしゃくしゃになった顔を上げ、
「何?」と言って微笑んだ。
その微笑みを眼前にし、マリは一瞬話すのをためらった。しかし、今言わなければ、言う機会がなくなってしまう。
「『盲腸』の手術で、お腹にすごく大きな『痕』ができたの・・・。これって、きっともう消えないよね?だったら、もう『モデル』にはなれないね、きっと・・・」
マリはそう言うと、ジャージのズボンを少しずらし、下腹部をマユの目の前に晒した。そこには、くっきりと大きな、赤黒い一筋の線があった。
その「痕」を見たマユは絶句してしまった。マリの美しい柔肌の上に、それは似つかわしくないほどに大きく、目立っていた。沈黙の時間が、2人の間にしばらく流れていた。
「・・・大丈夫」
マユは、その静寂を打ち破るようにそう言って、マリの頬にそっとキスをした。
「たぶん、今度の撮影は無理だと思うけど、手術の『痕』はきっと目立たなくなるよ。きっとそうだよ。お風呂屋さんで、そんな『痕』見たことある?あれだけ 人がいたら、絶対中に手術した人はいるはずだよ。時間が経ったら、手術したのが分からなくなるぐらい、消えてなくなっちゃうんだよ。だから、心配しない で」
マユはそう言って笑った。
「でも、それじゃあ今度の撮影はマユちゃん1人になっちゃうのよ?」
マリは、次の撮影を心配していた。自分が「モデル」になれない今、マユがひとりぼっちで純子の前に裸を晒し、砂浜に佇んでいる絵を想像して、胸が痛んだのである。しかし、それを聞いたマユは、つぶらな瞳をさらに丸く見開いて、
「そんなのどうでもいいの!今のマリちゃんにとって大事なことは、『嫁入り前の大事な体』についた傷が、本当にお嫁に行く前までに消えてることでしょ?」と語気を強めた。
そんなマユの言葉は、マリには何よりも嬉しかった。マリはマユの体にもたれかかるようにして、マユの胸に顔を埋め、そして、泣いていた。


4.めぐる季節を越えて



5月28日。
梅雨を控え、天候が心配されたが、この日は朝から快晴だった。
「天気はええんやけどなぁ・・・」
純子は、ロケ地の南房総に向かうフェリーのデッキから空を見上げて、心の中でそう言っていた。
マリが「盲腸」で手術をして、はっきりと目立つ「痕」ができてしまったことを聞いたのは、マリが退院してすぐ、半月ほど前のことだった。
「・・・いや、大したことのうて、ほんまよかったねぇ」
電話口ではそう言って気丈に振舞っていた純子だったが、内心はかなり動揺していた。不測の事態とはいえ、来年の「作品」として自信を持って準備してきた、その構成が、マリのリタイアによって完全に崩壊してしまったからだ。
「難儀やなぁ・・・。今までの写真で、どう再構成したらええんやろか?」
ただでさえ、鳥取のロケでは十分に撮影ができなかった、という思いがある。ましてや、その時に撮影したカットは、マユのほうがはるかに多く、マリの分が不足していたのだ。そのマリが「モデル」になれない状況に、純子は愕然としてしまった。
「・・・もしもし、先生、聞こえてますか?」
マリの声に、しばらく放心していた純子は我に返った。
「マユちゃんが、先生に話したいらしいんで、代わりますね」
マリはそう言って、マユに受話器を渡した。
「先生?マユです。今度の撮影、私は大丈夫ですよ!マリちゃんの分までがんばりますからね」
純子は、マユのそんな力強い言葉を聞いて、涙が出るほどうれしかったが、
「それやったら、マリちゃんがそないなってるから、もう・・・」と、弱気な決断を下そうとしていた。
「大丈夫です。来年がありますから!」
マユは、語気を強めてそう言った。
「来年になれば、いくらなんでもマリちゃんの傷は目立たなくなってるはずです。そうしたら、また2人で撮影ができるじゃないですか?」
マユの言葉に、純子は心の中で返事をしていた。
「確かに傷は見えへんようなってるかも知らんけど、来年は、もっと別の問題があるんや・・・」
確かに、問題は山積している。
まず、版元との契約の問題。来年の出版はもう確定しているため、もし来年の夏まで撮影を続けるとなると、代わりに出版する写真集を作らなければならなくなる。手持ちのカットに、それにふさわしいものはなかった。
それ以上に心配なのが、来年の夏時点での、2人の成長度合いであった。中3ともなると、前に見た「長髪のむさくるしい先生のドラマ」のイメージが強く 残っていて、純子には不安が大きすぎた。さすがに下の毛の心配が必要になるだろうし、当然、肉体的には「妊娠できるほどに」より大人に近づいているはずで ある。内面についても、恋愛をしている可能性もあるし、受験を控えて勉強に追われているかも知れないなど、今よりもっと複雑になっているはずなのだ。
だが、それは口には出さず、
「そやねぇ・・・」と言うしか、純子にはできなかった。
それから半月。撮影の当日となっても、純子には迷いがあったのだった。今回の撮影で、一体何を残せるのだろう。本当に、来年まで待てるのだろうか。その選択は、間違っていないのか・・・。
その答えは、意外にも、現地近くの駅で合流したマユの表情に、あった。
 

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